
偉大な経営者って、命にかかわる病気をして一皮むけたという話をよく聞きますね。

そうそう。たぶん、限りある命を意識することで、価値観が変わるんですよ。

そうなんですね。

それを仏教では、「生死一如(しょうじいちにょ)」っていうらしいね。
僕も経験があるから少しその辺について考えてみましょう。
仕事上で見えてきた人の生き死に
生と死に関する二つの結論
私は、30年以上地元で保険代理店を経営していました。
私が20歳代だったころ、50歳代でブイブイ言わせてた経営者のお客様も、今では80歳オーバー。
そんなかんじで、たくさんの経営者の最盛期と、亡くなる状態を見聞きしています。
それを総合的にみると、2つの結論に至りました。
一つ目は、「人は生きてきたようにしか死ねない」ということ。
二つ目は、「生きる人は生きるし、死ぬ人は何をやっても死ぬ」ということ。
このあと、ひとつずつ見てまいりましょう。

人は生きてきたようにしか死ねない
まず、一つ目は、「人は生きてきたようにしか死ねない」ということ。こういうと、世でいう良いことをしなければ、良い死に方ができないというイメージを抱くかもしれません。
しかし、私の考えは少し違います。
物の良しあしは人間が決めてること。それは自然界の価値基準とは全く違います。ここで私が言いたいのは、こういうことです。
わがままに生きた人は、人を寄せ付けずに死んでいく
ということ。
ある経営者は、とても事業を発展させました。
そして引退後も、好き放題。
しかしその経営者、現役時代の側近に裏切られ、妻に先立たれ、
子供たちも、わがまますぎるその経営者とは距離を取ります。
ひとり残された豪邸の、トイレほどのスペースで彼は晩年を過ごしました。後ろには冷蔵庫、足元には床下収納。ここに日常の食品があり、立つことなく食べ物にありつけます。
目の前にはテレビがあって、ただ椅子に座ってぼんやり過ごす日々。
わがままで、人を寄せ付けなかったその経営者は、孤独に最期の時を過ごしました。
生きる人は生きるし、死ぬ人は何をやっても死ぬ
もう一つの結論は、人の死期は決まっているのではないだろうか?ということ。
たとえば、ある病弱なお客様は65歳で肺がんを患いました。
ガリガリに痩せた彼の姿を見るとほとんどの人は長くない、と感じたことでしょう。しかし彼は、がんを克服。89歳の天寿を全うしました。
一方、ある方は、健康を自慢にしており、50歳を過ぎてトライアスロンにチャレンジするなど、まさに鉄人。しかし、ある日、突然の脳梗塞であっ気なくなくなってしまいました。
小さなけがで亡くなる人、大病でも生きる人。
この違いには何があるのでしょうか。
もちろん、生きるという意志の強さもあるかもしれませんが、それだけではないような気もします。
死を受け入れて生きる
人が絶対に避けられないもの
人が生まれた瞬間から失い続けるもの。
それは、生の時間です。
生きている私たちの時間はカウントダウンを始めています。
人生100年とするなら、あと数十年ある、と普通の人は計算します。
しかし、一度死に直面すると、その残り時間は一気に短くなります。
たとえば私の場合、56歳でがんが見つかりました。
あと20年くらいは生きるのかなー、なんてぼんやり考えてたのが、
がんが見つかったおかげで「残された時間は数年かもしれない」と、
一気に死が現実的になりました。
すると、今目の前の1分、1秒がとても大事になるのです。
その時に芽生えた感情は、
「やりたく無い事をやる時間は1分たりとも過ごしたくない」
ということ。
やりたいことをやり切りたいではなく、やりたくない事で無駄に時間を浪費したくない、ということでした。
私たちは、仕方なくやってること、結構多いと思います。
仕事もその一つ。
楽しんでやれてればいいですが、いやな仕事を「ライス・ワーク」とか言ってこなすわけです。けど、人生の残りが数年となって、そんなことをやっていればそりゃあ後悔もします。
ある調査では、亡くなる人が最も悔いるのは、「あんなに働かなければよかった」ということらしい。それは、やりがいを感じない働きだからではないでしょうか。
覚悟が決まる
残りの人生が20年もあるなら、きっと「老後生活」なんてものを心配することでしょう。けど、余命が数年なら、そんなの気にならない。
だから、思い切った決断ができます。
もちろん家族のこともあるので、そこまで割り切れる人ばかりではないと思います。けど、生きるためのライス・ワークを手放す勇気を持てると、本当の思いに生きやすくなります。
ある意味、そうやって死ぬときのシチュエーションが見えると、覚悟を決めやすくなります。その時に人は、小さな自分のための欲望を超え、人のために生きいようとするのではないかと思います。
死を意識した経営者が一皮むけるのは、そんな心境の変化ではないでしょうか。



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